“
吾輩は猫である
”
皆さん、こんばんは。
今天继续由主播reno为大家带来
夏目漱石的《我是猫》共读。
-我是猫61-
《我是猫》是日本作家夏目漱石创作的长篇小说,也是其代表作。这部作品写于1904年至1906年9月,1905年1月起在《杜鹃》杂志上连载,不久,编成上、中、下三册出版。
夏目漱石为发泄多年郁愤而写成的长篇小说《我是猫》,淋漓尽致地反映了二十世纪初,日本中小资产阶级的思想和生活,尖锐地揭露和批判了明治“文明开化”的资本主义社会。 这部作品是以一位穷教师家的猫为主人公,以这只被拟人化的猫的视角来观察人类的心理。这是一只善于思索、有见识、富有正义感又具有文人气质、但至死也没有学会捕捉老鼠的猫。
赤いのや、黒いのや、種々の色が交る中に一本真白なのがある。大に驚いた様子で穴の開くほど眺めていた主人は指の股へ挟んだまま、その鼻毛を妻君の顔の前へ出す。「あら、いやだ」と妻君は顔をしかめて、主人の手を突き戻す。「ちょっと見ろ、鼻毛の白髪だ」と主人は大に感動した様子である。さすがの妻君も笑いながら茶の間へ這入る。経済問題は断念したらしい。主人はまた天然居士に取り懸る。
有红的,有黑的,五彩缤纷之中,竟有一根是纯白色。主人惊喜若狂,差点眼珠子都要鼓冒了。他将鼻毛夹在指缝中,伸到女主人眼前。
“唉哟,讨厌!”女主人哭丧着脸,将主人的手推开。
主人颇有感触地说:“瞧啊,这鼻毛中的白发!”
连来者不善的女主人都被逗笑了,她回到饭厅,不再谈经济问题……
鼻毛で妻君を追払った主人は、まずこれで安心と云わぬばかりに鼻毛を抜いては原稿をかこうと焦る体であるがなかなか筆は動かない。
主人用鼻毛赶走了女主人,看样子总算稳下心来。他边思索,边拔鼻毛,边写作;可是干着急,笔尖却动也不动。
「焼芋を食うも蛇足だ、割愛しよう」とついにこの句も抹殺する。「香一炷もあまり唐突だから已めろ」と惜気もなく筆誅する。余す所は「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」と云う一句になってしまった。主人はこれでは何だか簡単過ぎるようだなと考えていたが、ええ面倒臭い、文章は御廃しにして、銘だけにしろと、筆を十文字に揮って原稿紙の上へ下手な文人画の蘭を勢よくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となった。それから裏を返して「空間に生れ、空間を究め、空間に死す。空たり間たり天然居士噫」と意味不明な語を連ねているところへ例のごとく迷亭が這入って来る。
“‘烤白薯’?画蛇添足,割爱吧!”终于把这一句勾掉。“‘香一炷’?太突然,见鬼去吧!”他毫不留情地进行笔诛墨伐,只剩下了一句:“天然居士,探空间,读论语者也。”这样似乎又有些简单。唉,伤脑筋!不写文章,只写一篇“铭”吧!他大笔一挥使出力气,横三竖四地划了一气。别说,还真像一株低劣的南画风格的兰草哩!刚才费了吃奶劲写成的墨迹,竟然删得一字不剩。他又把稿纸翻到背面,一连写了些莫名其妙的字句,什么“生于空间,探索空间,死于空间。空也,间也。呜呼!天然居士!” 这时,又是那位迷亭先生驾到。
迷亭は人の家も自分の家も同じものと心得ているのか案内も乞わず、ずかずか上ってくる、のみならず時には勝手口から飄然と舞い込む事もある、心配、遠慮、気兼、苦労、を生れる時どこかへ振り落した男である。
他大约以他人之家为己家,不用请便大摇大摆地闯进屋去,而且,有时甚至从后门飘然而至。他这个人,自从呱呱坠地,什么忧虑、客气、顾忌、辛苦等等,一概抛到九霄云外去了。
「また巨人引力かね」と立ったまま主人に聞く。「そう、いつでも巨人引力ばかり書いてはおらんさ。天然居士の墓銘を撰しているところなんだ」と大袈裟な事を云う。「天然居士と云うなあやはり偶然童子のような戒名かね」と迷亭は不相変出鱈目を云う。「偶然童子と云うのもあるのかい」「なに有りゃしないがまずその見当だろうと思っていらあね」「偶然童子と云うのは僕の知ったものじゃないようだが天然居士と云うのは、君の知ってる男だぜ」「一体だれが天然居士なんて名を付けてすましているんだい」
“又在写《巨人引力论》?”迷亭不等落座,劈头便问。
主人虚张声势地说:“是的。不过,并不是一直在写《巨人引力论》,现在正撰写天然居士的墓志铭哪。”
“天然居士?和偶然童子一样,都是戒名吧?”迷亭照例信口开河。
“还有叫做偶然居士的吗?”
“哪里。怎么会呢。不过,料想会有这类名字的。”
“我不知道偶然童子是何许人。不过,天然居士,你是认识的。”
“到底是谁,竟然装模作样地起了个天然居士的名字?”
主播 | reno
小编 | tsuki酱
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