2018年全国硕士研究生入学统一考试日语试题
基礎知識(20点)
次の文章を読んで、1~20の問いに答えなさい。答えは選択肢A、B、C、Dからもっとも適切なものを1つ選びなさい。
「中学生らしく」とか、「高校生らしく」とか、よく言う。
ぼくは、この言葉( 1 )嫌いだ。そんなことを言っていると、男は男らしく、女は女らしくなって、はては日本人は日本人らしく、なんてことを言い出すのじゃないかと思う。
ナントカらしさというのは、( 2 )人それぞれに思い入れがありながら、なにかのタイプを( 3 )、人間をその型に嵌め込もうとするところがある。それが、どうしてナントカらしいのか、といわれたら困るだろう。ぼくだって、大学教授らしくしろなんて言われたら、どうしていいか、わからない。
もっとも、「中学生らしくないように」とか「高校生らしくないように」とか、そうふるまおうとするのも、同じくらいあほらしい、型から抜けようとして、別の型にはまりかねない。
( 4 )、自分らしくあるのが、最上だろう。なにをするにしても、ああ、あの人らしいことをするといわれ、あの人らしい考え方だと思われるのがよい。( 5 )、なにかの型なんか必要ない。
もっとも、人間がそうなるのは、一生かかるとも言える。ほかの誰でもない、自分の生き方を作っ( 6 )ことが、その人の一生のようなものだ。
それでも、若者は若者なりに、「若者らしく」ある以前に、その人らしさがあってよいと思う。「中学生」であったり、「高校生」であったりする以前に、( 7 )人間んであり、それも、ほかの誰でもない、自分という人間なのだから。
ナントカらしさなどと言わずに、たとえば、やさしさを( 8 )ことはできる。それは「女らしさ」から来たりはしない。きみが男の子なら男の子なりに、そして、女の子なら女の子なりに、やさしさを持てばよい。その場合に、男ならこんな具合に、女ならあんな具合にと、( 9 )わけではない。それぞれに、自分にあったやさしさなり、自分としての魅力なりを持てばよいのだ。
ところが、世間というものは、中学生が「中学生らしい」型にあると、安心するようなところがある。もっとも、その「中学生らしさ」というのは、( 10 )勝手に動くもので、何が「中学生らしさ」のかと聞かれたら、誰だって困るだろう。ただし、その曖昧なのが管理する側から便利なところが、もっとも困ることである。
さらに、この「らしさ」というのが、どうも受け入れられてしまうのだ。先日テレビで、制服は必要かどうかという討論を見ていたら、なんと制服( 11 )反対する人までが、「中学生らしく」ありさえすれば、制服でなくてもよい、と主張していた。
ぼくは「中学生」であるとか、「高校生」であるとかいうのは、その人の人間性( 12 )、副次的なことと思う。学生とか、教師とか、サラリーマンとかその人が社会的に存在している身分で、あり方を決めようとしすぎると思うのだ。江戸時代なら、武士は武士らしく、町人は町人らしくしてないと、ひどい目にあったものだが、今はそんな時代ではないはずだ。
( 1 )~( 12 )に入れるのにもっとも適切なものはどれか。
1.A は B が C に Dを
2.A どうも B どうぞ C どうか D どうせ
3.A 連係して B 関係して C 関連して D 連想して
4.A 結局は B 結果は C 結論は D 結末は
5.A それにも B それには C それでは D それでも
6.A てある B てみる C ていく D てくる
7.A まず B 初めに C さきに D 前もって
8.A 身になる B 身に余る C 身にしみる D 身につける
9.A 決めている B 決まっている C 決めていた D 決まっていた
10.A およそ B けっして C ずいぶん D ちょうど
11.A と B へ C に D で
12.A に対しては B にとっては C によっては D については
13.文中の「そんなことを言っていると」の「と」と同じ使い方のものはどれか。
A ダイエットをしすぎると、体をこわしてしまうよ。
B 彼に言うのと言わないのと、結果は変わらないよ。
C 飛行機に乗ると、徒弟が自分の席の隣に座っていた。
D 友達が交通事故で亡くなったと、彼女は泣いている。
14.文中の「もっとも」と同じ使い方のものはどれか。
A あなたたちが悪かったのだから、相手が怒るのももっともだよ。
B その短編小説はかれの作品のうち、もっとも優れているものです。
C ライオンはアフリカの草原の中で、もっとも強い動物だと思われている。
D 宿題は来週出しなさい、もっとも早くできた人は明日出してもかまわない。
15.文中の「はまりかねない」の意味に近いものはどれか。
A はまりにくい。
B はまる可能性がある。
C はまると言われてしまう。
D はまるかどうかわからない。
16.文中の「受け入れられてしまう」の「てしまう」と違う使い方のものはどれか。
A 最近、電車の中に傘を忘れてしまう人が多くなってきた。
B 地下鉄の中でうっかりすると、財布を取られてしまうよ。
C おまえ、そんなことをしたら、彼女に嫌われてしまうよ。
D あと5分ぐらい待ってて、この手紙を書いてしまうから。
17.文中の「討論を見ていたら」の「たら」と同じ使い方のものはどれか。
A そんなに上司がいやなら、今の会社をやめたらどうですか。
B 酒を飲んだら、絶対に車を運転しないようにしてください。
C 友達と国立美術館に行ったら、元の彼女にばったり会った。
D これは保証期間中に故障したら、ただで修理してもらえる。
18.文中の「ひどい目にあった」の意味に近いものはどれか。
A 変に思われた。
B 辛い経験をした。
C 苦しい生活をした。
D 悲しい気持になった。
19.文中の「型」の読み方はどれか。
Aかた Bかち Cかたち Dかたき
20.文中の「最上」の読み方はどれか。
Aもがみ Bもうえ Cさいうえ Dさいじょう
読解(55点)
A.次の文章の「一」「二」「三」「四」を読んで、21~40の問いに答えなさい。答えは選択肢A、B、C、Dからもっとも適切なものを1つ選びなさい。
(2点X20=40点)
「一」
わたしはこれまで、人間についで頭がいいのはチンパンジーだと思っていましたが、イルカ(海豚)はチンパンジーとは段違いに優秀なのだそうです。
そして、わたしたちがチンパンジーを高等動物とみなすのは、その形態が人間に近いからなのですね。なんという自己中心!すべての動物は人間にどれだけ近いかによって優秀の順位か決まると、最初から思い込んで疑わなかった。これはイルカに対してまことに失礼なことであったと反省したことでした。
すると、たとえば、音楽を聞かせたら、植物の育ちがよかったり、いい花を咲かせた、という話も、ほんとうだろうという気がしてきます。枝を切ろうとしてハサミを手にその木へ近づいていくのと、水をやろうとジョウロ(喷壶)を持って近づくとでは、木はまるで別の反応の仕方をするのであって、ただそれが人間には見えないだけなのかもしれない。
人間はものを見るのに目を使い、聞くのは耳で、嗅ぐのは鼻です。( ア )、たとえば魚に対すると、魚の耳はどこだと考え、メクラウオのように、目が退化して形だけ残っている種類を見ると、びっくりしたりします。
もっとも、人類はそれほど自己中心的で、かつ攻撃性を備えていたからこそ、地球という星で、こんなに栄えたというか、蔓延ったわけでしょう。というのも、地上は酸素はたくさんあるけれど、食物を手に入れるのが海の中とは比べ物にならないくらい困難で厳しいので、地上の生物たちは、そのための大変な努力をしながら今日に至った。そして人類は、今のところそれに勝ったのだと言えます。
その点、イルカは5千万年ほど前に、やはり海の中がいいからと、海へ帰っていったが、海の中は、ほとんどといっていいほど敵はいなくて、口を開けて泳げば餌がひとりでに入ってくるから、まず努力しなくていい、毎日遊ぶことが仕事みたいなものです。もしイルカが努力をしていたら、人類は今みたいに栄えなかっただろうということです。
よく言われることですが、「地球」という呼び方も、いかにも人間中心的ですね。「地球」というより「水球」といえ、とイルカたちが主張したら、われわれは言い返すことができません。表面積からすれば、海はその70.8%を占めるのですから。
21.文中に「失礼なことであった」とあるが、それはなぜか。
A 動物は形態が人間に近ければ近いほど優秀だと思い込んでいたから。
B 人間は頭の良し悪しこそ動物を判断する基準だと思い込んでいたから。
C チンパンジーよりイルカのほうがずっと優秀だと思い込んでいたから。
D 動物の中でチンパンジーが一番人間に近い動物だと思い込んでいたから。
22.文中の「それ」は何を指すか。
A 人間と違う反応の仕方をする木の特別な仕組み
B 美しい音楽を聞かせてもらった植物の育ち振り
C 木に施そうとする動作による木のさまざまな反応
D いい花を咲かせようとする植物のいろいろな変化
23.文中の( ア )に入れるものはどれか。
A だから B 要するに C その結果 D にもかかわらず
24.文中に「人類は、今のところそれに勝った」とあるが、それはなぜか。
A 地上は生きるのになくてはならない酸素が十分にあるから
B 人間は自己中心的だけでなく、攻撃性もある生き物だから
C 地上は食物の入手が容易で、努力しなくても生きられるから
D 人間は目や耳や鼻などの進化が他の動物より進んでいるから
25.この文章の内容に合っているものはどれか。
A 人類は努力したからこそ地球上の生物間の競争に勝ったのである。
B 海の表面積を考えて「地球」を「水球」と名を改めるべきである。
C 生存環境の厳しい海の中と比べて地上のほうがもっと生きやすい。
D チンパンジーがイルカより頭がいいということを忘れてはならない。
「二」
ぼくの家は数メートルの崖の上にある。崖は石垣になっていて、ゆるやかな反比例のカーブを描いている。ちょっとしたお城の石垣みたいで、たまに下から見上げるとなかなか気分がよろしい。ところが気分がよいのはそこまでである。
石垣の下は道路であるが、駅のある繁華街方面へは上の道を通って行くため、我が家の人間がこの道路を利用することはめったにない。にもかかわらず、石垣の下の、道路沿いの溝は、我が家の人間が掃除しなければならない。石垣の上の我が家の庭から石垣の下へものを落とすことはまずないのだが、そう決められているからしかたがない。月に二度、妻が不平を言いながら掃除におりて行く。この溝が、いつもはなはだ汚いのである。タバコの吸殻、菓子袋、ミカンの皮はいうに及ばず、その他いろんなものが捨ててある。日本人の公衆道徳のなさを見る思いである。たいていは通りがかりに捨てるのだろうが、中にはわざわざ捨てにきたとしか思えないようなものが捨ててあることもある。
たとえば、テレビが捨てられたこともある。そんなもの、拾ってきてもどうしようもないので、粗大ゴミ回収の日がきたら待って行こうと思いながら抛っておいたら、四、五日してなくなっていた。妻の話によれば、「これ何や」といって五、六人が崖下で騒いでいたそうだから、親切にもその連中が持っていってくれたのであろう。こちらは助かった。それにしても他人の迷惑を考えぬ道徳心のないやつが多い。いや、もちろん、他人の迷惑を考える能力ぐらいはあるのだろうが、こういうやつはむしろ他人の迷惑を面白がる人間なのであろう。
あなた、これ捨ててきてよといって、毎朝出勤するサラリーマンの亭主にゴミの袋をことづける女房族がいるそうだ。亭主の方は捨て場に困り、電車の網棚の上へわざと置き忘れてくる。車掌が忘れ物と思って中をあけるとゴミだった。こういうのが最近多いそうだが、あきれたものである。こういうのは人に隠れてするから、する本人はしている所とが公衆道徳に反することだと知ってやっているらしいことがわかる。
道徳や礼儀を身につけているかいないかは、ふつう誰もがそう思っているように、家庭とか学校の躾によるものではない、と、ぼくは思うのだ。多少表面的な効果はあっても、それはあくまで建前的に道徳、礼儀を自慢する際の役にしか立たず、家庭できびしい躾を受けた男が大学へ入るなりたちまち反動的に周囲の蛮カラ(粗野的)風に染まって汚いことを平気でやりはじめることはしばしば見かけることだ、教養だって役に立っていないと思う、道徳や礼儀は学問とは別物に思えてしかたがない。
26.文中に「我が家の人間が……めったにない」とあるが、それはなぜか。
A 石垣の下の道を通って駅のある繁華街のほうへ行くことができないから
B 石垣の下の道から家の周辺の風景を思う存分楽しむことができないから
C 石垣の下の道から石垣を見上げる時のいい気分がすぐ消えてしまうから
D 石垣の下の道沿いにはいつもミカンの皮等のゴミが捨てられているから
27.文中に「そう決められている」とあるが、「そう」とはどういうことを指すか。
A 崖下の溝にタバコの吸殻や菓子袋など色々なゴミが捨てられること
B 妻は月に2回くらいぶつぶつ文句を言いながら溝の掃除に行くこと
C 石垣の上の我が家の庭から石垣の下へものを落としてはいけないこと
D 自分がゴミを落とさなくても溝の掃除の責任を負わねばならないこと
28.文中に「こちらは助かった」とあるが、それはなぜか。
A 捨てられたテレビをもう自分の家に拾って来なくても済んだから
B ゴミとして捨てられたテレビを自分で処理しなくても済んだから
C 勝手にテレビを捨てることに不満を持っている人が他にもいたから
D 妻の頼みでテレビを回収業者のところに運んでくれた人がいたから
29.文中に「道徳や礼儀は学問とは別物に思えてしかたがない」とあるが、それは
なぜか。
A 道徳や礼儀は学問と違って、反動的な力などで簡単に覆されることはない
から
B 道徳や礼儀は学問と違って、建前的なものでいつでも役に立つことはない
から
C 道徳や礼儀は学問と違って、生まれつきのもので教えられるものではない
から
D 道徳や礼儀は学問と違って、学校や家庭の教育で躾けられるものではない
から
30.この文章の内容に合っているものはどれか。
A 電車の中のゴミ袋の置き忘れが一概にその人の故意による行為だとは言
えない。
B テレビの無法投棄行為が日本人の公衆道徳のなさの表われだとは断言でき
ない。
C 家庭で厳しく躾けられた人でも公衆道徳に反するようなことをすることが
ある。
D 汚いことを平気でやっている人はみな他人の迷惑を考える能力のない人である。
「三」
今年は海外で年末年始をすごした、そこには紅白歌合戦もなければ、大晦日の夜の鐘の音も聞こえてこなかった。そこで、今回は日本と欧米との年の区切りのちがいばかりが、気になった。
そのもっとも大きかったことは、日本の年末年始が、大晦日に大きな意識があって、新年は、どちらかというと、次のものであることだった。
日本人は年末年始が近づくと忘年会をやる。過去を捨てようと、一生懸命である。また大晦日の終曲は、まだまだ紅白歌合戦である。何しろ。出場できなかった女歌手が、人気回復に特別名写真集を出すほどらしい。そんな記事を週刊誌で読んだ。
そして大晦日の夜の鐘の音。この暗い感じは、どうも好きになれない。
ところが今回年末をすごした所では、新年を迎えて、海上の空に花火が打ち上げられた。まあまあの豪華さだった。
つづいて爆竹。これも長い時間鳴りやまなかった。
もちろん世界各地、海外といったって同じではあるまい。爆竹は中国の旧暦の区切り、いわゆる春節ではそれそれは大変で、毎年けが人が出る。むかし北京で春節を迎えた時の騒ぎは、今でも忘れられない。
また大晦日のカウントダウン(倒计时)は欧米にもある。とくにヨーロッパの田舎では12時のキスは、今でもあるらしい。
しかしそれにしても、欧米では忘年会にあたる英語はないし、クリスマスの飾りはクリスマスが済んでもそのままお正月に入るから、街の風景は変らない。それでこそ欧米人から来るカードに「クリスマス、おめでとうございます!新年、おめでとうございます!」と書いてあることも納得できる。
やはり重点の置き方はヨーロッパとアジアで違い、さらに中国と日本でも違って、日本はいちばん、ゆく年に重きがあるように思える。
一年間の反省や勘定の清算も大いに結構だが、どちらかといえば、もっと前向きに年のあらたまったことの方を大事にしたいと思うが、どうであろう。
とくに近ごろ、日本人は景気が悪くて元気が出ない。そんな時は忘年会をやめて新年会だけにしょう。
お釈迦さま(佛祖)にお許しいただいて、大晦日の夜の鐘を適当にして新春の餅をつこう。紅白歌合戦は「明けましておめでとう」を強調したものを、年が明けでからやろうではないか。
そして新年の日の出や初詣出(新年初次参拜)に出かけもするし、テレビやラジオも、熱心にそれを放送してほしい。
これが私の新年の夢である。
31.文中の「日本と欧米との年の区切りのちがい」の中で、もっとも大きいのはどれか。
A 日本は大晦日の過ごし方を重視するが、欧米はカウントダウンを重視する。
B 日本はお正月の雰囲気を重視するが、欧米はクリスマスの飾りを重視する。
C 日本は忘年会のある年末を重視するが、欧米は年末と年始を同様に重視する。
D 日本は過ぎ去って行く年を重視するが、欧米は新年を迎えることを重視する。
32.文中に「そんな記事」とあるが、それはどういうことを指すか。
A 紅白歌合戦に出場できなかった女歌手が、人気回復に写真集を出すこと
B 大晦日の夜の鐘の音が暗い感じを与えるから、好きでない人が多いこと
C 日本の大晦日の終曲として、歴史を持つ紅白歌合戦がまだ続いていること
D 過去を捨てようと、日本人は年末が近づくと一生懸命に忘年会をやること
33.文中の「納得できる」とは、どんなことか。
A 欧米ではクリスマスの飾りはきれいだから、新年に入った後も撤去しないこと
B 忘年会に当る英語がないから、欧米人のカードにはその意味の表現もないこと
C 欧米人のカードに、クリスマスと新年とのお祝いの言葉が一度に書かれること
D 欧米人はとくに田舎では、忘年会の代わりに大晦日の12時にキスを交わすこ
と
34.文中の「私の新年の夢」は何か。
A 新年の日の出にみんなの夢を託して好景気になってほしい。
B 年末には一年間の反省や勘定の清算を大いに行ってほしい。
C 年末の行事より新年を祝う行事をもっと熱心に行ってほしい。
D 欧米や中国のような祝い方で年末年始の行事を行ってほしい。
35.この文章で筆者がもっともいいたいことは何か。
A 過去の一年への反省が新年が祝うよりもっと重要だということを認識すべき
だ。
B 過ぎ去って行く年に重点を置いている日本はもっと新年に期待をかけるべきだ。
C 欧米の年末年始の考え方は日本の風習と合わないので取り入れるべきではない。
D 中国の新年を祝う習慣など日本とほぼ同様であることを忘れるべきではない。
「四」
猫好きの人は誰でも知っているように、猫は飼主から名を呼ばれた時、ニャアとないて返事をするのが面倒くさく、黙ってちょっと尻尾の端を振って見せるのである。緑側などに蹲って、うつらうつらと日向ぼっこ(晒太阳)を楽しんでいる時などに、試みに名を呼んで見たまえ。人間ならば、うるさい、人がせっかくよい気持に眠りかかったところをと、生返事をするか、でなければ狸寝入りをする(装睡)のであるが、猫は必ずその中間の方法を取り、尾をもって返事をする。それが、体の他の部分はほとんど動かさず、依然としてうつらうつらしながら、尻尾の末端の方だけを微かに2?3回、ブルンと振って見せるのである。何にしてもその返事の仕方には一種微妙な表現がこもっていて、声を出すのは面倒だけども黙っているのもあまり無愛想であるから、ちょっとこんな方法で挨拶しておこう、と言ったような、そしてまた、呼んでくれるのはありがたいが、実は己は今眠いんだから堪忍してくれないかな、と言ったような、怠けているような、愛想がいいような複雑な気持が、その簡単な動作によって巧みに示されるのである。
私が何でこんなことを言い出したかというかと、他人は知らず、私は実にしばしば自分にも尻尾があったらなあと思い、猫を羨ましく感ずる場合にぶつかるからである。例えば机に向って筆を執っている最中、または思索している時などに、突然家の人が入って来てあれこれ用事を訴える。すると、私は尻尾がありさえしたら、ちょっと2?3回端の方を振っておいて、構わず執筆を続けるなり思索に耽るなりするであろう。それより一層痛切に尾の必要を感ずるのは、訪客の相手をさせられる時である。客嫌いの私はよほど気の合った同士とか、敬愛している友達とかに久しぶりで会うような場合を除いて、めったに自分の方から喜んで人に面接することはなく、大概いつもいやいや会うのであるから、用談の時は別として、漫然たる雑談の相手をしていると、10分か15分もすればたまらなく飽きてくる。で、自然こちらは聞き役になって客が一人でしゃべることになり、私の心はともすると遠く談話の主題から離れて別の方へ憧れていき、客を全く置き去りにして(弃置不顾)勝手気ままな空想を追いかけたり、ついさっきまで書いていた創作の世界へ飛んでいったりする、従って、ときどき「はい」とか「ふん」とか受け答えはしているものの、それがだんだん上の空(心不在焉)になり、間が空きすぎたりすることを免れない。時には、ハっとして礼を失くしていたことに気がつき、気を引き締めてみるのであるが、その努力も長続きがせず、ややもすればすぐまたかけ離れようとする。そういう時には私はあたかも自分が尻尾を生やしているかの如く想像し、尻が痒くなるのである。そして、「はい」とか「ふん」とかいう代わりに、空想の尻尾を振り、それだけで済ましておくこともある。猫の尻尾と違って相手の人に見てもらえないのが残念であるが、それでも自分の心持でば、これを振ると振らないでは、いくらか違う。相手の人には分からないでも、自分ではこれを振ることによって受け答えだけはしているつもりなのである。
36.文中に「その中間の方法」とあるが、筆者は猫のどのような気持ちを言っているか。
A 眠くて返事すら面倒くさいと思う気持ち
B できるだけ楽に返事をすまそうとする気持ち
C 怠けているような、愛想がいいような複雑な気持ち
D 尻尾の端を振って、いい加減に応答しようとする気持ち
37.文中の「その簡単な動作」とは、どういうことか。
A 狸寝入りをすること
B ニャアと声を出すこと
C 尻尾を微かに振ること
D 日向ぼっこをすること
38.文中に「自分にも尻尾があったらなあ」とあるが、筆者はなぜそう思うようになっ
たのか。
A 人間関係の煩わしさを厭い、現実の社会を離れて空想の世界に遊ぶべきだと思
うようになったから
B 人との付き合いにおいては、礼儀作法を重んじ、何よりも相手を尊重すべきだ
と思うようになったから
C 普通の来客はもちろん、気の合った同士とか敬愛している友達への応対も面倒
だと思うようになったから
D 人に煩わされず創作に専念していたい反面、無愛想に応対するわけにもいかないと思うようになったから
39.文中の「そういう時」とは、どういう時か。
A どんなに忙しくても、自ずから喜んで訪ねてくる客に面接する時
B 失礼だと気がつき努力はしているが、なかなか効果が見られない時
C 談話の主題から離れて別の方へ憧れていき、客を全く置き去りにする時
D 空想を追いかけたり、さっきまで書いていた創作の世界に耽っていく時
40.この文章の面白い点はどこにあると考えられるか。
A 猫の反応を捉えて、筆者の猫への強い愛着を表そうとしている点
B 猫の行動を描いて、筆者が仕事における苦労を訴えようとしている点
C 猫への観察を通して、筆者が人間の行動の本質を見抜こうとしている点
D 猫の動作を借りて、筆者の内心の思いをありのままに伝えようとしている点
B.次の文章の下線のついた部分を中国語に訳しなさい。(3点X5=15点)
誰でも心配するのは、自分にパソコンの適性があるかないかということである。こ
れほど愚問と思える質問もないが、だが初めは誰でも心配になるものだ。
41.およそ文科系とか理科系という分け方もかなりの部分は思い込みによるものがあ
るのではないかと思うことが多い。自分は文学志望であるとか、自分は音楽志望であると
か、自分は技術者志望であるとか、学生は誇らしげに言うのをよく聞く。42.社会人に
対しては礼儀を欠くからできないけれど、学生になぜそう思うのかと尋ねてみることがあ
る。するとたいがいは、第三者にとっては理由ともいえない理由であることが多い。
曰く、小学生のころ作文が上手だと先生に褒められた。曰く、中学生のころ、ブラスバンド(管乐队)でリーダーだった。曰く、小さいころ、ラジオを作って親と先生に褒められ、あなたは技術者向きといわれた。43.そんな些細なことが人の一生を左右するのかと、唖然とするくらいである。作文だって、ブラスバンドだって、ラジオだって親や周囲の先生が陰ながら援助したに決まっているのである。しかし、恐ろしいのは,そうして醸成された錯覚が本物となっていくことである。
パソコンに適性があるかないかにいたっては、愚問に過ぎて悲しくなってしまう。自分はパソコンが得意だとか、パソコンが上手だと周囲の人が褒めてくれることは大切である。なんとなくそういう気持ちになってしまう。44.そうしていつの間にか自分はパソコンのために生まれ、パソコンともに生き、パソコンとともに死ぬのだという人種を作り上げていくのである、どう考えても、適性というものなどありえない。
ただし、好き嫌いはあるだろう。好みの問題は神様だって手のつけられない問題である。45.しかし、この好き嫌いというやつもよく見ていると、頭が硬化してきて新しいものに対する旺盛な知識欲が弱まったり、ある程度世の中で成功していて、確立した自分の生活に変化の起きることを好まないということに起因する場合があるようである。
作文
中国では、結婚する前の若者が親と同居することが多いが、欧米では別居することが多いと言われている。どちらがいいと思うか、あなたの考えを作文を書きなさい。
注意:
①自分でテーマをつけること
②「だ?である」体で書くこと
③漢字を使うべきところは漢字を使うこと