「中日和平条約」締結40周年記念
「38年目の星(昴)」谷村新司2018
2018年9月21日19:30開演
上海大劇院 大劇場
●北京公演
2018年9月28日19:30開演
北京展覧館劇場
我々に前向きに頑張る力を与えてくれたあの名曲「昴」、38年経って今も聞き飽きることなく
谷村新司は日本大阪出身の音楽家、アーティストであり、日本及びアジアの音楽界に多大な影響力を与え、輝かしい名声を博している。 多くの人々に愛された名曲「昴」は、1980年に谷村新司が作詞・作曲・歌唱し、世に送り出した楽曲である。楽曲がアジアの人々に、日本で著名な音楽家である谷村新司を知るきっかりとなり、更に各国の国民に愛され、様々な言語でカバーされた。テレサ・テン、アラン・タム、ポーラ・チョイ、ロマン・タム、文章、姜育恒、チョン・リンなど多くの有名な歌手もこの曲をカバーし、まさに不朽の名曲である。1980年に作られた「昴」は、前世紀八十年代を風靡する懐かしい楽曲だけれども、38年の月日を経た今も衰えることなく、どんな時でも音楽が鳴り響く度、我々に壮大なスケール感そして深い感動を与えられる。
1981年8月23日、初めて中国に足を踏み入れた谷村新司が、中国歌手の皆さんと北京工人体育館で行われた「Hand in Hand北京」公演に出演した。 それ以来、中国と途切れることのない深い縁を結んだ。2008年、「相約北京」の招へいを受け、アジア13カ国・地域の著名歌手と共に、9月16日に、北京展覧館劇場で行われた「亚洲之夜(アジアの夜)」に出演した。2010年、上海万博の日本イメージ大使に任命され、上海万博開幕式で「昴」を熱唱し、世界の人々を魅了した。「中国に行くたびに、この曲を歌います。伴奏はなり始めた瞬間、皆が必ず大きいな拍手を贈ってくれます。」と谷村新司がコメントをしたことがある。
彼の音楽、中国語圏音楽界に多大な影響を与えた
谷村新司は1972年にデビューして以来、さまざまな映像作品や自分及び多くの日本アーティストのために、楽曲を創作し、その数は700曲を超えた。これまでのアルバム販売枚数は3,000万枚を超え、公演回数は4,000回を超え、また19回に渡り紅白歌合戦に出演した。日本流行音楽界に数多くの伝説と記録を残し、日本音楽会の神話的な存在である。
同時に、アジア流行音楽界の重鎮として、流行音楽シーンに多大な影響を与えた。前世紀70年代、80年代の香港地区の音楽シーンは発展期であり、大量な日本流行音楽の楽曲をカバーした。その中に、谷村新司作品が50曲近くにも及び、当時の流行音楽シーンの主流を築いた。レスリー・チャン「共同渡過」(原曲:花)、「有誰共鳴」(原曲:儚)、ジャッキー・チュン「遥遠的她」(原曲:浪漫铁道)、「Rainy Blue」(原曲:レイニーブルー)、レオン・ライ「夏日傾情」(原曲:最后のI Love You)、アーロン・クオック「夢見你回来」(原曲:昭和)、ダニー・チャン「旅程」(原曲:それぞれの秋)、アニタ・ムイ「孤身走我路」(原曲:This Is My Trial,首唱:山口百惠)、アラン・タム「Born Free」(原曲:Born Free)等があり、谷村新司とジャッキー・チュン、レスリー・チャン、アラン・タム等多くの歌手と良き友人として関係を築いた。
38年後の今、「昴」は輝き続けている
40数年の音楽人生で、谷村新司はずっと音楽を架け橋に、中日両国ひいてはアジア諸国の友好文化交流に取り組んで来た。 「人の人生そのものが音楽と同じものである。音楽は政治を超えることができる。私は音楽を通じて、中日に間に架け橋をかけたい。これは生涯にかけてやらなければならないこと。どんなに時代が移り変わっていっても、 音楽を通じて、中日両国民に友好を伝えていくことが自分の使命である。」と以前インタービューでコメントしている。
今年、名曲「昴」誕生38年目に際し、谷村新司は本コンサートを「38年目の昴」と命名した。あの名曲「昴」が再び中国で披露される日がやって来る。彼は間違いない今も音楽舞台で一番輝いている 「星(昴)」であろう。