物心が作る 懂事
傍ら 身旁;一边
大人びる 老成
記す しるす
ふと 忽然
虚しい むなしい
1983年、宇多田さんは歌手藤恵子さんと音楽プロデューサーの父宇多田照實さんの間に生まれた。
家族の暮らしは、音楽を中心に回っていた。宇多田さんは物心つく前から、スタジオで、両親が作業する傍ら、ご飯を食べ、眠った。
父がニュヨークを拠点に活動していたため、日本とアメリカを頻繁に行き来し、急な引っ越しも日常茶飯事だった。
そんな目まぐるしい生活の中で、宇多田さんは気持ちを押し殺す、大人びた子供になっていた。
こう記している:9歳の時、怒りとか不満って言った感情が完全になくなっていることに気付いた。
そのごろ、母、藤恵子さんがスタジオでレコーディング中、ふと言った:光、ちょっとここ歌ってくれない。
なんで私 がみたいな、8歳とか9歳とかですね、恥ずかしいから嫌で。
ちょっと恥ずかしいとか、時々お腹が痛いふりして寝てたりとか、そういうこともあったんですけど、歌わなくてもいいように。
じゃあ、自分で作ったのだったら歌う?って聞かれて。
じゃあ、作って見るって答えて作って見た。
当然、つくったからじゃ歌う。てなったっていうのは覚えています。
それから、宇多田さんは音楽の作りに没頭した。
曲や歌詞に自分の気持ちを詰め込んだ。
両親が喜んでくれるのがなによりうれしかった。
音楽は宇多田さんにとって、思いを伝えられる救いとなった。
大人が皆違うことを言うだけではなく、同一人物でさえ、先と全然違うことを言っていることにすごく混乱して、
自分が何かしら、コントロールできる、環境は自分でどうにもできないけど、自分に一人でもどうにかでもできることになると、
私にも音楽っていうものがあって、そこに私の最後の望みみたいな感覚があって、その真実はじゃ、どうしたらそれに触れられるんだと思うと、あまりにもむなしくて絶望しかないので、
それがあるだろう?どこだ?と思ったら、それが他者にない、自分以外の世界にも、人にもない。