【原创小说】沈む

【原创小说】沈む

南开日语 日韩男星 2017-11-20 20:40:36 203


車椅子に座っている兄は窓の外を眺めている。目線は遠い空にくっついているが、口の中で確か何かを咀嚼している。実際近寄ってみると、小声でぶつぶつ喋っていることが分かった。

夕陽が沈んだって。

五時の鐘は鳴ったばかりじゃないか。七月の五時に沈む夕陽はどこにも見られないだろう。が、それはしょうがない。そもそも私の兄は狂人だから。

一度も発狂したことのない、いつも大人しくしている兄のことを狂人と呼ぶのはあまりにも大袈裟だが、少なくとも私の父はそう呼んでいる。にもまして、ずっと健康でいた兄は、父に狂人と呼ばれて初めて、このまま座ったきりとなってしまった。それは「狂人」に相応する病徴か、或いは兄の生々しい演技か、実に興味深い。

   そんな兄は夕陽の夢を見ている。いや、むしろ夕陽は、夢の奔馬に乗って兄の頭脳に殺到してきた。夕陽の柔軟な光は彼の眼にだけ映っている。そして、記憶の海に沈んでいく。もしいつか気が向いたら、また今日のようにお腹から反芻して、再び口に味わう。可哀想な兄だ。



「パッ」と、麻雀が卓に叩かれた。

「ロン。」――女の声が聞こえた。

と同時に、八つの手は一斉に麻雀牌を散らかし、紺のクロスの上で、ころころ扱き混ぜ始めた。そして、そういう巧みな骨製の麻雀を軽快に拾って、間もなく入れ歯のように、卓の端に整然と立てた。

八つの手が止まった。その中に、ダイヤモンドの指輪をつけているのは陳太太(中国語で奥さま、以下同じ)、数珠をつけているのは林太太、紅のマニキュアを塗っているのは李太太だ。

「ごめんね、また振り込ませたわ。」と陳太太が微笑んで言った。

「もう勘弁してくださいよ。陳太太今日もついていますよね。」と李太太が手で口を覆い隠しながら。

「惜しいわ。」と母が言った。「五索を打つんじゃなかった。上がり牌に三索と六索があったのに、結局三索しか残ていなかった…」と、母は買ったばかりの翡翠の耳輪をちらつかせながら首を振った。耳輪が重いせいか、母の耳たぶは溶けた蝋燭のように見えた。

「あらまあ、それは気の毒だわ――」幽々と林太太が呟いた。

薄暗い部屋に女四人が卓を囲んでいる。

私はソファに―に座って女四人を見ている。

   兄は窓際で遠い空を眺めている。



「太太!お電話!」

阿春が部屋に入った瞬間、女四人はふっと首を回した。その突然の動作によって太太たちのアクセサリーはより一層輝き出した。

「どちらの太太かしら?」と陳太太は聞き返した。

そういう言えば、麻雀卓を囲んでいる女全員は太太なんだ。が、その中に一番太太らしい「太太」は陳太太に他ならない。なので阿春が我が家の長年の雇い人にもかかわらず、とりあえず「太太」に関わることを全て聞き返すのは陳太太の流儀だ。

「うちの太太なんですけど…」

「……」

「どちらからの電話かしら。」――母の番が来た。

「周先生(先生、学校の教員の敬称であれば、中国語で夫の敬称でもある、以下同じ)からのです。」

母はすっと席から立った。それは取らなけらばならない電話のようだ。

「周先生はもう上海から帰ってきたの?」

「そうらしいです。」

「周太太も一緒に?」

「それは…」阿春は頭を下げた。

「いいわ。私は聞いておく。」

母は既に立ち去ろうとする様子だった。とその時――

「少々待ってくれないかしら。」と陳太太は言った。

「どうしましよう。周先生の電話一本で、こちらは一人不足になってしまうんですけど。」

「あら、それは失礼。」

母は依然としてドアの方へ進んでいる。陳太太の顔さえをも始終見てない。そこで陳太太が一つの麻雀牌を手に弄っていたまま、「ぐるぐる、ぐるぐる」という音は、後ろの麻雀卓から何やら耳障りに聞こえてきた。

「あなた、代わりなさい。」

部屋を出たその時に、母は私に対してそう言いつけた。



私と女三人が麻雀卓を囲んでいる。

ダイヤモンドの指輪、数珠と紅のマニキュア。電灯の青ざめた光に照らされて、香水の匂いと混じり込んで、まるで世界中の奇珍異宝がここに凝縮されたように、眼を潰すほど眩しかった。

素晴らしい、恐ろしい。私はただ、太太たちの手の動きをぼんやり見ているだけだった。

「緊張しないで、大目に見てあげるわ。」と李太太が笑った。

どう反応すべきか、さっぱり分からなかった。だから私も笑った。

一階から母の声が仄かに聞こえてきた。それは周先生との会話だった。周先生は親の大学時代の友達で、卒業してから上海に移住し、学界で結構活躍してきた。この間退職したと聞いていたが、まさかこんなに早く故郷に錦を飾りたがるとは。周先生は到底親の友達だが、今のように次から次へと電話をかけられると、いつか私の「友達」にもなるかもしれない。そんな遥かな結末がどうやら目の前の麻雀卓から私に見えたようだった。

――とその時、空を眺めている兄は、あのずっと静かにしている兄なのに――長く長く嘆き出した。

が、誰も兄の方へ眼差しを投げていない。

見なくても分かるから、兄のその愚かな姿。

「夕食はいつでしたっけ?」

「さあね、阿春に聞いてごらん?」

「六時半です。」と私は答えた。

「あら、詳しいわね。」

退屈な会話だった。私はどうも太太の中においても、先生の中においても、会話の相手とならない人間のようだ。殊に今日の昼食の様子は明確に頭の中で覚えている。一階のダイニングで、その食卓の向こうに座っている陳先生から「もし今は戦争だったら、お前戦場で人間を殺せる?」と急に問われて、思わず「多分できないと思います。」と答えた私は、案の定周りの先生と太太たちを笑わせた。「お見事、まさに兄弟だ!」という評価に、「さようでございます。」と父が微笑んで相槌を打った。それは冗談半分のことがよく分かるが、その場である種の失格が宣告された事実も流石に否めない。それで昼食の終わりに、先生たちがダイニングの隣の客間に向かうとき、父は凛とした顔で「兄の面倒をちゃんと見ておきなさい」と言いながら客間の扉を固く締めた。

そして、太太たちの笑い声が二階の麻雀部屋から聞こえてきた。私は拳を握って二階へ上がっていった。

私の兄、あいつは、そこで私を待っている――

「周先生というのはあの周先生のこと?」

「そうよ、上海の大学で教えていた有名な先生なんですよ。」

「本当にすごい人ですわね。比べものにならないわ。」

「……」

「そういえば、大学の先生になるつもりでしたっけ?」と、陳太太はついでに私のことを聞いた。

「一応そんなつもりですけど、まだ決まっていないです。」

「だから慌てて電話に出たのね…気が利いたことだわ…」

陳太太は私の話を全く聞いていなかった。

「ね、知っている?うちの娘は今アメリカの大学で勉強しているの。すごく熱心いっぱいだわ。これから博士まで勉強し続けたいって――あらまあ、本当に分からない、彼女の考え方なんて。でもいいの。女の子だから、いくら世間知らずとか、不愛想とかと言われても何とかなる。勿論大学の先生もなかなかいいけど、暇もあるし、地位も高いし、尤もなことに、私たちの生活より何倍も静清だわ。」

陳太太のごく愛想のいい発言に合わせて、ダイヤモンドの指輪がきらきらと輝き出した。

「で、あなたは大学で何を勉強しているのかしら?」と、また陳太太に聞かれた。

「さあ…何でしょう…」

「……」

沈黙の中に六時の鐘は鳴った。重厚な音は部屋の中に響いている。陳太太の顔は急に暗くなった。

「いい?聞かれたらさっさと答えなさい。もじもじしてはなりません。貴方も、貴方のお兄さんも、このままじゃ大変なのよ!ああ…全く、兄弟というより、姉妹なのよね。」

麻雀がクロスに落ちる音は耳に届いた。その小さな骨製品たちは太太たちの手で「パチ」とぶつかり合った。李太太は笑っているような、哀しんでいるような顔で、林太太は相変わらず、無表情のまま麻雀牌を拾っていた。

夕立の音は窓際から聞こえた。が、その時忽然と太陽の光は積乱雲の隙間に差し込んできた。

「さようでございます。」と私は一言を漏らした。そこで陳太太は笑顔を見せてくれた。

「さようでございます。私は陳太太より何倍も静清な生活をしてみたい。」

   俄雨の中に夕陽が沈み始めた。



恩義知らず。

「お母さんは麻雀がうまいのよ。それより何ごとにつけ、計算がうまいというのか。

「あの時は今と同じだったわ。電話が次から次へとかけられてきて。」と陳太太は兄を見ながら淡々と言った。

「残念なことに、計算がうま過ぎたようだけど。」

――兄は陳先生の事務所で働いたことがある。気が利かない、況してやや鈍い兄は思った通り、陳先生の手元でなかなか上手く出来ていなかった。陳先生との飲み会で酔っ払って家に帰るのはしょっちゅうのことだったが、弱気の性格なのか、酔い狂いする勇気さえもなかった。いつも弱々しく阿春を呼んで、水をもらっていた兄だった。が、日頃の疲労のせいで寝込んだ阿春がどうしても起きられない夜があった。すると、寝室の隣の部屋から、断続した呻きを聞くに忍びなかった私は、兄に水を取ってあげずにはいられなかった。

兄の部屋の窓は開けっぱなしだった。澄んだ月の光は兄の体を照らしていてた。シャツのまま兄が寝ころんでいて、剝きだした鳩尾と首は銀色の光の中で優雅に起伏していた。私は水を入れたコップをサイトテーブルに置いて、戻ろうとするその時、兄は突然私の腕を擒縛して、力強く枕元へ引き寄せた。

「ちょっと聞いていい?」

兄は酒気を帯びながら私の耳元で無邪気に囁いた。

「お前、戦場で人間を殺せる?」

――それから一週間後、兄は狂人となってしまった。

狂人となったのは確か兄が帰宅した黄昏の頃だった。その前に、陳先生からの電話は先に家にかかってきて、どうやら陳先生ととあるお偉いさんは事務所の応接室で打ち合わせする予定だったが、人のいないはずだった応接室は誰かに内から鍵をかけられていて入れなかった。急いで事務室の管理人に鍵を開けてもらうと、事務室にいたのは兄に他ならなかった。そして最も不思議なのは、兄の懐に一羽の鳩が抱かれていることだった。その笑い話のような光景は人脈に殊に神経質な陳先生をひどく怒らせた。父との友情さえも危うくなるぐらい、電話の中で散々兄のことを物申した。

その後帰ってきた兄はまるで聾者の如く、誰の話も聞こえなくなったようだ。父に「お前は気が狂った。病院へ行ってくれ」と怒鳴られた時も、母に「ちゃんと謝りなさい。きっと大丈夫だわ」と願われた時も、兄は微動だにせずに、ただ無表情のまま寝台に座っていた。そして、再び立ち上がれなかった。

   家の騒ぎは三日しか続かなかった。兄は完全に狂人だと認められた。だからそのままほっておいていい。私も当たり前のことに、親の愛情の唯一の継承者となってしまった。更にその無限の愛情の中に、一種の背倫が艶なる恨みとなったことも、その時初めて私は意識した。

「まさか一羽の鳩のために、」と陳太太は言い続けた。

「鳩なんてあり得ないわ。うちの旦那に少し怒られただけで、こんなふうに落ち込んだのも考えられない。」

「ですわよね。鳩なんて気持ちが悪いわ。」と李太太は相槌し始めた。

「あなた、先言ったわね、静清ってて。そもそも静清とは一体何なの?まるでうちが悪かったみたい。いいわ、ちゃんと聞いて、世間はそんなものよ。」

「……」

「うちには何の罪もない。この世の中にいい人や悪い人は誰一人もいない。分かった?それ以上の希求を求めると、いつかお兄さんのようになるわ!」

「……」

言い過ぎだ――陳太太は自分でも意識した。それでタイヤモンドの指輪を回しながら、声を下げて再び話そうとするところに――

「そうなんですよ。陳先生はそんな人じゃないわ。」と

李太太が思わず言い出した。

微妙な空気が漂い広がった。さすがの林太太も、李太太の顔をちらっと見てみた。が、李太太は何も言っていないように、自分の髪を弄り続けた。なるほど、今日のリップも紅だった。李太太の顔を見て、私はクスッと笑った。それは間違いなく陳太太を怒らせた。したがって陳太太はリベンジの意味を含めて話し始めた。

「施設を紹介してあげましょうか。お兄さんはそのままじゃ困るでしょう。誰のせいでもないのに、こんなふうに座ったきりとなったのは精神の問題に他ならないじゃない。

「あらまあ、可哀想。こんな若いのに。でも心配しないで、立派なお医者さんを知っているから、紹介してあげるわ。病人だったら、早く医者の所に見てもらうべきでしょう。

「勘違いしないでね、私は悪い人じゃないわ。この部屋の中に悪い人が誰一人もいないと先言ったじゃない。だからこんなふうに私を見ないで。早くお兄さんを病院へ連れて行きなさい。そうしたら、みんな楽になるわ。」

と同時に麻雀牌を荒々しく卓に打った。

「だから言い方が悪いかもしれないけど、ただ助けてあげたいの――」

――「ロン。」と私は言った。

打たれた麻雀牌を拾った。

「上がり牌は六索。」

愛想のいい笑顔を見せながら。



「兄はどこに行ったの?」

麻雀部屋に入った途端に、母は叫び出した。

夢が覚めた。

窓際の車椅子に兄の姿は既になかった。ガラスに当たって跳ね返った雨の雫は、自らの影を床に投影し、その蚤のような薄黒い斑点は部屋中に這い回っている。

一途に思い込んだあまりに、知らず知らず作り出した兄の幻はなんとその誰も気づかなった消失によって粉々に砕かれた。そして窓際に残った貧弱な車椅子はなんとなく孤独に、また厳かに見えてきた。

その奇妙な見間違いは一体なぜだろうか。兄の演技に騙されたのか、無言の啓示を受けたのか、返答に困るのだ。しかし、一つの衝動が私の心の中に燃えてきたのは明確なことだった。

「兄を探してくる。」と私は言いながら、部屋を飛び出した。太太たちがまだぼんやりしているうちに、私は一階に降りて、玄関へ向かった。

母もついてきた。翡翠の耳輪は母の呼吸に合わせてゆらりと揺れながら、微弱な緑の光は母の首を彩った。とともに、夕立の雨は遠慮なく兄が逃出した際に開けられた玄関の扉から降り込んだ。

母の瞼に涙が溜まっている。しかし、私の母は泣かない。

震える声で「傘を忘れないでね」と言って、傘を私の手に渡した。

私が傘を張ったその時、母はゆっくりと耳輪を取り外して、その小さな潤い石を掌に握った。

「やはり重いわ。」

「そうだね、似合わないんだ。」

「お兄さんはどこか分かる?」

「なんとなく。」

阿春は廊下の照明をつけたのか、雨に入るところに、私は母の影が背中にくっついてきたその一瞬の重さを感じた。母はずっと私の後ろに立っていることも変わらなかった。目の前の夕立も止まる様子をちっとも見せてくれなかった。が、私は顧みずに雨に飛び込んだ。

「お母さんのことを恨まないで。」

――もう母の声が聞こえなかった。


家の西から三百メートルのところに川がある。雑草がもやもや生えた堤には私は止まった。息が穏やかになったら川沿いを歩き始めた。

傘に遮られた空には雲がむらむらとしている。雲の流れに潜んだ夕陽の浮き沈みに伴い、川原の草原も明るくなったり、暗くなったりしている。草叢に差し込んだ靴は完全に濡れてしまったが、歩きは止まらない。

その時、誰かが私を呼んでいるのが聞こえた。

振り返えて見ると、遠方から阿春が走ってきた。阿春は傘をさしていないが、その手の中に、なんと傘をしっかりと持っている。阿春に向かって、私は手の中の傘を高く挙げた。それは「傘を持っているよ」という合図だった。しかし、お節介な阿春はそれを理解できなかった。びしょびしょにやってきた彼女は息せきを切って、「ハーハー」と喘ぎながら、もう一本の傘を私の手元に渡せた。

「阿春…もう…」

阿春は手を振りながら、

「お兄さん…お兄さんにあげて…風邪をひいたら大変じゃない。必ずお兄さんに渡してね!」と言った。そして慌てて帰り道へ向かった。

「阿春、ちょっと待って――」

が、阿春は私の話を聞き取れなかった。彼女の小柄な姿は間もなく川岸の果てに消えてしまった。

橋の柵を前に凭れた兄は、頬杖をついて遠い空を眺めている。

もう雨でびしょびしょになっているが、渡された傘をさそうとする様子は全く見えない。

近寄ってみると、実際小声でぶつぶつ喋っているのことが分かった。

「夕陽が沈んだ。」

私は兄のそばにいて、彼と一緒に空を眺め始めた。

彼方の雲の群れは向こうのぼんやりした夕陽に金色に染められた。その不思議な色は、勢いの大分小さくなった夕立の青い雨の中に紫のように見える。茜めいた雲の輪郭を通して、紺青の夜空はゆらり、ゆらりと私たちの方へ登ってくる。それは静かで穏やかな夜の予告だ。

「もう帰ろうか。」と私は言った。その後傘をさして橋を渡った。

兄は予想通りついてこなかった。

彼は微動だにせずに、元の場所で立っているーー

「鳩が飛び入ったのはしょうがないじゃあないか。」

「私がそんなに許せなかったのか。」

と兄は誰かに聞いている。

奇妙なことに、そんな兄が泣いていることが私は分かった。声も立てず、表情にも異様がない兄は確実に雨の中に密かに泣いているのだ。なぜ分かったというと、雨水と混じって、じっとりした兄の顔に、星の軌道のような涙の跡は、細やかな光を輝やかしているのだ。

ああ――女々しい。

   夕陽に沈む兄の姿、あの狂人である兄の姿は、なぜ聖人のように美しかったのか。

 

(終わり)

轟 ミノル

  

南開大学日本語科 4年生

今京都大学で留学。その短編小説『』が『京都大学木曜会 新人号 湖月 』に掲載されている。








供稿/轟 ミノル

编辑/赵雪菲


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