柳乐优弥(ゆや やぎら、Yuya Yagira) ,1990年3月26日出生于日本东京,日本演员。2004年,14岁的柳乐优弥凭借《无人知晓》获得第57届戛纳国际电影节主竞赛单元最佳男演员奖,成为戛纳史上最年轻的影帝。目前活跃在电影、电视剧、舞台剧多个领域。最近的作品是《银魂2》《响-HIBIKI-》《椿花散落》《黎明》等。电影《寓言杀手》《别哭啊赤鬼》预计2019年上映。
14歳でカンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受賞してから、15年。悩み抜いた10代を経て、20代はアルバイトや芝居の現場でもまれ、俳優としての土台を築いた。20歳で娘が生まれて、「しっかりしなきゃ」と一念発起したという。「僕は僕なりに頑張るしかない」。自身を不器用だと語る柳楽の奮闘に迫った。
从14岁获得戛纳国际电影节最佳男演员到现在已有15年。十多岁时满是烦恼苦苦思索,二十代时通过打工和表演现场的磨炼,为演员事业打下坚实基础。20岁时女儿出生,于是下定决心“一定要努力振作”。“我只能靠自己努力”,让我们来了解说自己笨拙不聪明的柳乐的奋战。
結婚して本当に良かった
结婚真的太好了
柳楽優弥、28歳。20歳の時に生まれた娘が8歳になった。
柳乐优弥今年28岁,20岁时出生的女儿现在8岁。
*今天是29岁的第一天。
「若いうちに生まれて、もちろん大変な時期もありましたけど、僕は子どもが好きだから、やっぱりうれしかったですね。妻(タレントの豊田エリー)が仕事に行っている最中は、僕が見て。夫婦で交代交代でやってます。3、4歳のころは、地方ロケに1カ月行って、ヒゲを生やして帰ってきたら、(娘には自分が)誰だか分かんなくなってたりしましたね」
“女儿在我年纪还不大的时候就出生了,当然正是很艰难的时期,不过我很喜欢小孩,所以非常高兴。妻子(艺人丰田艾莉)工作期间我就照看孩子。两人轮流交替。女儿3、4岁的时候,我去外地拍了一个月外景,回来的时候长了胡子,(女儿)就不认识我了。”
高校の一つ上の先輩だった豊田にプロポーズしたのは、17歳の時だ。
丰田是同一高中比柳乐优弥高一年级的学姐,向她求婚是在17岁的时候。
「全く迷いがなかったんです。自分が法律でまだ結婚できない年齢だとは知らなかった。昔の武士とか早いっていうじゃないですか。結婚したのは、19の時です。僕は仕事にかなり悩んでた時期だったし、よく結婚したなって思いますけど。妻も、肝っ玉据わってるな、と。でも、あの時結婚して本当に良かったです」
“完全没有感到迷茫。我当时不知道那个年纪按照法律还不能结婚。但以前武士不也结婚挺早嘛。后来19岁时结婚了。那一时期工作非常不顺利,竟然也结成了婚。想来妻子胆子也真是大,但那个时候就结婚真的太好了。”
妻も娘も映画が好きで、家族でよく映画を見て過ごしているという。
妻子和女儿都很喜欢电影,经常家人聚在一起看电影。
「子どもがどこを面白いと思うのかって、興味深くて。シリアスなシーンで、『なんで悩んでるの?』とかストレートに聞かれます。『なんでだろう』って答えるんですけど(笑)。僕の出たものも見てくれてます。『ゆとりですがなにか』(2016年のドラマ)とか面白いって言ってましたね」
“我很好奇小孩子觉得什么场景有趣。看到很严肃的场景时,女儿会直接问我‘在苦恼什么啊?’。我就回答‘到底是为什么呢’(笑)。也会看我出演的作品。她说《宽松世代又如何》(2016年电视剧)很有意思。”
漫画やアニメも大好き。中でも、家族そろってドラえもんの大ファンで、毎年映画館に見にいく。昨年、3人で「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」に遊びにいっていた時、マネージャーからのメールで、『映画ドラえもん のび太の月面探査記』の声優のオファーを知った。
也很喜欢漫画和动画。而且我们全家都是哆啦a梦的超级粉丝,所以每年都会去电影院看。去年,我们3个人去“川崎市 藤子・F・不二雄博物馆”玩的时候,经纪人发邮件来说,收到了《哆啦A梦:月球探险记》的配音工作邀请。
「『ドラえもんと話せるのか!』と。でも、声優は17歳くらいの時に一度やったくらいで、本格的にやるのは今回が初めて。実写だと自分の体があって、そこに一つの道具として声や台詞があるわけですが、アニメーションに僕の声を重ねるっていうのはどうやったらいいのか、分からなくて。声を録っている時、20人くらいの人が聞いているんですけど、僕だけ一人焦り始めて……」
“‘能和哆啦a梦说话吗!’很是激动。17岁的时候尝试做过一次声优,但这是第一次正式的工作。如果是真人拍摄的话,在自己的身体动作之上加入声音和台词就可以了,但我真的不知道如何在动画中加入自己的声音。录音的时候大概有20个人在听,只有我一个人在焦虑……”
うまくいかず、予定していた収録時間が過ぎ、日を改めて録り直すことになった。次の収録日、柳楽は身ぶり手ぶりを入れて、時に倒れ込んだりしながら、汗だくになって熱演した。
录制不太顺利,超出了预计的录制时间,所以就改天再录了。第二次录制时,柳乐就手脚并用,有时还前倾倒地,大汗淋漓地热切表演着。
「他の人がどういうふうにやるのか、分からないんですけど。倒れ込みながら、『あああ!』とか、アクションを付けながらやっちゃいました。最初は体を動かさないで録っていてうまくいかなかった。これはもう動くしかないなと思ってやり始めたら、監督が『動かしたほうがいいですね』って言ってくださって。そこからは徐々に楽しくなって、気分的には何十時間あっても録り足りないな、というくらいでした」
“虽然不知道别人是怎么录音的,我是边倒地边叫喊着‘啊啊啊!’像这样带上动作进行录音。刚开始录音站着不动,就不太顺利。我想没办法了只能边动边录,导演说‘还是动起来比较好’。那之后就渐渐变得有意思了,来劲了的话录几十个小时都不够,都到这种程度了。”
柳楽は、自身を不器用だという。
柳乐觉得自己笨拙不聪明。
「器用になれるドリンクがあったら飲みたいんですけどね。本当、『ドラえもん、ください!』っていう感じです。何でも器用にできちゃう人、憧れますけど、僕は僕なりに頑張るしかないから。それでも20代前半に比べたら、落ち着いてきたと思います」
“如果有那种喝了就能变聪明的饮料,那我很想喝。真的是‘哆啦a梦,给我这种饮料!’的感觉。我很崇拜那种什么都能做好的人,我的话只能用自己的方式努力。尽管如此,比起二十岁出头的时候,还是变得更沉着了。”
アルバイト生活が土台を作った
打工生活打下的基础
柳楽のデビューは鮮烈だった。中学生の時に是枝裕和監督の『誰も知らない』(2004年)に出演し、14歳でカンヌ国際映画祭最優秀男優賞を受賞した。史上最年少、日本人初の快挙だ。柳楽にとって、初めてのオーディションが『誰も知らない』だった。普通の中学生が、いきなりカンヌ国際映画祭のカーペットを歩いた。
柳乐的出道令人印象非常深刻。初中时出演了是枝裕和导演的《无人知晓》(2004年),14岁获得了戛纳国际电影节最佳男演员,成为史上最年轻的影帝,也是首位获得这项殊荣的日本人。而《无人知晓》还是柳乐的第一次试镜。普通的初中生一下子就走上了戛纳国际电影节的红毯。
「同じクラスの女の子が昼ドラに出てて。それを休みの日に友だち5人くらいで見てたんです。みんながうれしくて笑うじゃないですか。僕もこんなふうに笑わせたいなと。そう思って事務所に履歴書を送ったので、最初はむしろお笑いとかやりたかったんです。そしたらだいぶ違う方向になった」
“同班的女生出演了午间剧,休息日就和大概5个朋友一起看了播出,大家都笑得很开心,我也想让大家那样开心地笑,就去事务所递了简历。刚开始其实是想走谐星路线的,结果却是完全不同的方向。”
『誰も知らない』で演じたのは、母親に育児放棄された子どもだった。
在《无人知晓》里演绎的是被母亲抛弃的小孩。
「台本ももらってなくて。今思うと、ちょっと変わった演出の作品で。演技をしていたわけではないですから。土台がないスタートでした」
“没有剧本,现在想想,真的是出演了有些奇怪的作品。因为并不是在演戏。一开始是没有表演基础的。”
受賞後、国内で主演作が続くものの、「芝居の土台がなかった」柳楽は、次第に葛藤を抱えるようになる。ストレスで1日8食も食べるようになり、一時は30キロ近く太った。「16歳から22歳くらいまでは、戻りたくないな、と思う時期」とも振り返る。
虽然获得影帝后,在日本国内主演的作品不断,但“没有表演基础”的柳乐接连受挫。因压力1天吃8餐,突然胖了近30公斤。现在回想起来“16岁到22岁这段时期,我不想再来第二次”。
子どもも生まれた柳楽は、一念発起してアルバイトを始めた。
有了小孩的柳乐,下定决心开始打工。
「僕、Wikipediaを見るのが好きで。先輩俳優の歩んできた道を見ると、俳優以外の仕事をしていたり、アルバイトをしていたり。そこに憧れたんです。結婚して、しっかりしなきゃと思ったし、とにかくレベルアップしたかった」
“我喜欢看维基百科。看看演员前辈们走过的路,他们做过演员之外的工作,或是去打过工,我很向往那样。结婚之后觉得我必须努力,总之要更上一层楼。”
自動車ディーラーで洗車や磨きの仕事、居酒屋で接客の仕事をした。
汽车零售店做过洗车擦车,在居酒屋做过服务生。
「バイト長になって、年上の後輩に指示を出したりとかして、新鮮でしたね。飲食店は、メニューを覚えられなくてあんまり向いてなかったですけど。名札を付けていたので僕だと気付かれることもありましたが、その時そんなに表立った活動があったわけじゃなかったので。気付かれると『よく知ってますね』みたいな感じで、逆にうれしかったです」
“作为打工前辈指点年纪大的后辈是从没有过的事。我总是背不下餐馆的菜单,所以并不适合在餐厅工作。而因为工作时是别着名牌的,所以有被人认出来过,那时没有曝光强度很高的工作,被认出来,我会觉得‘竟然认识我’反而很高兴。”
「一回お前、川の中でAKB歌ってこい」
“你在河里唱一次AKB的歌吧。”
転機の一つが、2012年、故・蜷川幸雄演出の舞台『海辺のカフカ』の主演に抜擢されたことだ。22歳の時だった。
转机是2012年,被选拔为已故的蜷川幸雄执导的舞台剧《海边的卡夫卡》的主演。那时22岁。
「どうしても演技がうまくなりたいと思っていた時に、厳しい演出を受けられたのは本当にラッキーでした。『挨拶しろよ』とか基本的なマナーについてよく言われた気がします。芝居については、いろいろ言われ過ぎて……。映画のトーンで話してると『聞こえねえよ』とか。ゲネプロが急遽中止になったんです。何かがダメだった。そこに大きく僕が絡んでると思うんですけど……。でも初日はもちろん来るわけで。初日が終わった後、『華々しい初日だったね』って言ってもらったのがすごく印象に残ってます」
“在无论如何都想提高演技的时候,能被严格要求真的很幸运。我感觉基本礼仪方面也被说了很多次,让我‘好好打招呼’。演技方面真的是被严厉批评了……。用拍电影时的音调念台词会被训‘听不见’。彩排会突然暂停,然后指出哪里哪里不好,一般是我拖了后腿……。但首演总会来到,首演结束后被评价‘真是华丽的首演啊’,这话给我留下了很深的印象。”
『海辺のカフカ』の後、映画『許されざる者』の現場へ。指導が厳しいことで知られる李相日監督の作品だ。アルバイト生活の最中に受けたオーディションだった。
《海边的卡夫卡》结束后,就去了电影《不可饶恕》的拍摄现场,这是以严厉出名的李相日导演的作品,试镜是打工那段时期去的。
「必死だったんで、オーディションで『これ受かるんですか?』と監督に聞いて、怒られました。李監督の現場は若手が鍛えられることで有名だったので、絶対に出たかった」
“当时真的很想被选上,就在试镜的时候问导演‘我能被选上吗?’,被骂了一顿。李导演的拍摄现场很能磨炼年轻人,所以想着一定要去。”
「今度は『発声が良すぎる』って、舞台っぽい台詞回しが嫌がられたんです。もう、どれが正解なのか分からなくなりました。あと、『自分をもっとさらけ出したほうがいい』ということになって、『一回お前、川の中でAKB歌ってこい』と。冷たい川に入って、スタッフ全員の前で『I want you!』って歌って。いろいろ本当、思い出しただけで怖いです。でもその映画が終わった後も、何かあると李監督に相談してますね」
“这次被批评‘发音过于标准了’,舞台腔被嫌弃了,我都不知道到底怎么做才是对的,还说‘最好释放一下自己’被要求‘你去河里唱一首AKB的歌吧’。我就到冰凉的河里,在全体工作人员面前唱了一首《I want you!》。很多事光回想起来就觉得恐怖,但那部电影拍完后,我有什么事都会找李导演商量。”
品のある俳優になりたい
想成为有格调的演员
アルバイト生活、厳しい演技指導でもまれた柳楽に、また一つ転機が訪れる。ドラマ『アオイホノオ』(2014年)に主演し、初めてコメディーに挑戦した。柳楽が演じたのは、「漫画家になる!」と闘志を燃やす熱血芸大生・焔モユルだ。
经历了打工生活和严格的演技指导磨炼的柳乐又有了一次转机。主演电视剧《青色火焰》(2014年),首次挑战喜剧。柳乐饰演的是立志“成为漫画家!”的热血艺术大学生•焰燃。
「福田(雄一)監督が、僕のWikipediaを読んで、『こいつはいける』って思ったそうなんです。救われたというか、そういう面を発見してくれたことがうれしかった。元々人を笑わせたくてこの仕事を始めたので、コメディーの現場は自分らしくいられるなとも思います」
“听说福田(雄一)导演是看了我的维基百科,觉得‘这家伙能行’就让我来了。与其说被救赎了,不如说是我很开心导演发掘了我的另一面。因为本来就是想让人笑才开始这份工作,在喜剧的拍摄现场觉得更像我自己了。”
心に葛藤を抱える若者を少年時代から多く演じてきたが、この作品を機に役柄の幅が広がった。NHK連続テレビ小説『まれ』、ドラマ『ゆとりですがなにか』、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』、映画『ディストラクション・ベイビーズ』『銀魂』など、かつての迷いが晴れたかのように、多様な作品で好演を重ねる。
从少年时开始大多演绎内心纠结的年轻人,柳乐借这部作品拓宽了戏路。连续出演了NHK连续剧小说《小希》、电视剧《宽松世代又如何》、NHK大河剧《女城主直虎》、电影《错乱的一代》《银魂》等作品,仿佛雨过天晴走出阴霾,呈现出丰富多样的作品。
「主役とか脇役とか関係なく、いただいた役に一生懸命向き合いたいというのは、昔から変わらないです。いろんな役柄を演じるなかで自分らしさもきっと出てくると思うので、それを大切にしていきたい。今やってみたいと思っているのは、スーパーヒーローですけど」
“无论是主角或配角,只要接了这个角色就拼命地演好,这一点从未改变。我想在这么多饰演过的角色中和我自身一定会有共鸣之处,所以很珍惜那些经历。现在想演的是超级英雄。”
2019年1月、映画『夜明け』に主演。是枝の監督助手だった広瀬奈々子が、初めてメガホンを取った作品だ。是枝作品で助監督を務めた兼重淳による映画『泣くな赤鬼』にも出演、6月に公開を控えている。柳楽にとっては、自身の原点を思い返す機会にもなった。
2019年1月,主演电影《黎明》,是枝裕和导演助理广濑奈奈子首次执导的作品。也出演了是枝裕和副导演兼重淳的电影《别哭啊赤鬼》,这部预计6月上映。对柳乐来说,这也是一个重新思考自己初心的机会。
「是枝さんから『よろしくね』ってメールをいただきました。自分のところにいた人たちが優弥を使うのはうれしいって言ってくれます」
“是枝先生给我发邮件说‘多多关照啊’,还说他很高兴自己团队的人让优弥来出演作品。”
14歳での受賞から15年。家庭を築き、俳優の土台を作り、時間をかけて実力を証明してきた。今、もがいた半生を振り返ってこう言う。「カンヌに負けないくらい貪欲だったんで。こういう作品に出てみたいとか、こういう俳優さんになりたいとか、目標は絶えずある。満足したら終わりです。不器用だから、一生懸命やろうと思います」
从14岁获奖到现在15年了,有了家庭,有了演员的基础,耗费时间终于证明了自己的实力。回顾坎坷半生,柳乐这样说“过去不想输给戛纳,野心满满。想出演这样的作品,想成为这样的演员,目标源源不断。事实上,一旦目标达成了也就结束了。因为笨拙不聪明,所以我要拼尽全力去努力。”
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