どの人にも公平に与えられている「時間」ですが、時間に対するとらえ方のうちに国民性の違いもみえるようです。時の研究家、織田一朗氏が「時間感覚にもお国柄が」をテーマに執筆します。
“时间”对每个人来说都是平等的,然而对时间的看法,可以看出国民性的不同。时间研究者织田一朗以“从时间感觉窥视国情”为主题撰写了文章。
かつて筆者が属していた会社では、海外から有力取引先を日本に招いて、もてなしていたが、担当者の悩みは、参加者が時間通りに歓迎パーティに集まってくれないことだった。
笔者曾经隶属的公司,要在日本款待一批从海外来的实力雄厚的客户,但令负责人烦恼的是,与会者们无法按时参加欢迎派对。
冗談半分に、「時間通りに来るのは、ドイツ人やオランダ人などゲルマン系、ちょっと遅れてくるのがアメリカ、イギリス人などのアングロサクソン系、1時間遅れてくるのがフランス、イタリアなどのラテン系、開会時間に起きるのがスペイン人……」などと言っていた。
还半开玩笑地说,“能准时来的是德国及奥地利等日耳曼民族的,稍迟到一会儿的是美国、英国等盎格鲁撒克逊族的,迟到一个小时的则是法国、意大利等拉丁族,而到了开会时间才起床的则是西班牙人……”
もっとも、欧米ではパーティには、開始時刻にちょっと遅れて参加をするのがマナーで、英語では「ファッショナブリー・レイト」と言う。主催者が受け入れに万全の準備の時間を取れるよう配慮するためだ。
原本在欧美,比开始时间稍迟一些参加派对是一种礼仪,即英语中的“fashionably late”,是为了让派对主办方有足够时间做好万全准备。
「時間厳守」はドイツ人の哲学
“严守时间”是德国人的哲学
筆者は「時の研究家」という職業柄、海外に出かけると、名所旧跡だけでなく、時間に関する「お国柄」も気になる。
笔者有“研究时间”的职业病在身,去海外,不仅会寻访名胜古迹,也十分在意与时间相关的“国情”。
ドイツでは、「時間厳守」は人格の一部のようだ。ある時フランクフルトで体験した送迎バスでの出来事だった。宿泊したホテルから空港までの送迎バスは事前予約制で、われわれの一行4名しか乗らないにもかかわらず、5分前にマイクロバスに乗ろうとすると、「まだ5分前だからダメだ」とあっさり断られた。
在德国,“严守时间”成了人格的一部分。那是在法兰克福发生的一件事,从我们下榻的酒店到机场需要事先预约接送巴士,而尽管只有我们一行四人预约乘坐,但开车5分钟前想上小巴时,却被断然拒绝,理由是“不行,还有5分钟”。
「お客様第一」の今の日本では、さしずめ従業員の取り繕った笑顔ともみ手で、「お急ぎでいらっしゃいますか。すぐに出発させましょう」といった展開になるか、乗客が「他に乗客はいないのだからバスをすぐに出せ」と要求することだろう。だが、ドイツでは、「決められた時間になっていない」ことが拒否の重要な理由なのだ。
在当下日本“客人至上”的原则下,要么是工作人员笑脸相迎,表示“知道您非常着急,马上就能出发了”,或者是乘客提出要求“又没有其他乘客,马上开车吧”。然而在德国,“没到点”成了拒绝的重要理由。
会合でも「出席者が少ないのでもう暫くお待ち下さい」などということはなく、予定時刻になったら始まるのが当たり前になっている。確かに慣れてみると、「時間通り」は気持ちが良い。誰かの顔色をうかがったり、どこかから指示をされるのでもなく、誰にも公平な『時』を基軸に生活が進んでいく。
集合的时候也是,并不会因为“来的人比较少,请稍等一下”,到了预定时间就出发是理所当然的。不过习惯了的话,“按时间”的确挺好的,不用看谁的脸色,也不能等待指示,任何人都是以公平的“时间”为准轴生活着。
ドイツを代表する航空会社は「安全、環境、定時性」をモットーに掲げ、「自分たちの役割は輸送業であり、定時性、安全こそが輸送機関としての最大の使命」と言い切っている。世界中の航空会社が、「乗客に好まれる質の高いサービス」などと、美辞麗句を並べている中で、輸送業の根本である「定時輸送」を重視する姿勢を貫いている。
德国代表性的航空公司,也是以“安全、环保、准时”为标语,信誓旦旦地表示“我们的工作就是输送,而准时、安全是输送机关的最大使命。”全世界的航空公司,都在宣扬“提供令乘客欣喜的高品质服务”来美化自己的工作,而他们却将输送行业之根本,即“准时”视为重中之重,贯彻始终。
ゲルマン民族が時間に厳しいのは、「時間を守れないのは、生活の中で自分をコントロールできていない」との考えに基づいているためで、「時間厳守」は単なるマナーや心掛けの問題ではなく、哲学そのものなのだ。
日耳曼民族对于时间的严苛,可以认为是以“不能遵守时间,就是无法控制自己的生活”为考量,“严守时间”不仅仅是单纯在礼仪上要留心的问题,而是哲学本身。
セカセカしない、させない国フィンランド
慢慢悠悠,不紧不慢的芬兰
北欧のフィンランドでは、「時間は生き方の問題」であることを教えられた。バスに乗るときに運転手に行き先を尋ねるために、後ろの乗客の乗車の邪魔にならないよう通路の端に身を寄せたのだが、後ろの乗客たちは決して乗ってこようとはしなかった。一方、運転手も言葉が通じない筆者の質問をきちんと理解するために、アイドリング状態のエンジンを切って対応してくれた。
北欧的芬兰,教导人们“时间就是生活方式的问题”。在乘坐巴士,向司机询问目的地时,为了不妨碍后面的乘客上车而侧身让出通道,但后面的乘客却等候着没有上车的意思。另一方面,司机为了清楚理解语言不通的笔者的问题,甚至关掉了汽车引擎。
ホテルのフロントや、スーパーマーケットのレジでも同様で、一人のお客がスローペースであろうとも、その客の用件が終わるまで待つのが当然の行動で、通貨が判別できずにもたついている筆者をせかしたり、非難めいた行為をとるようなそぶりはなかった。ましてや前の客が支払いを済ませていないのに、次の客が横から会計を始めるようなことはなかった。
酒店前台、超市结账台也都是如此,一位顾客如果有事使进程变慢,那么等待那位客人结束是理所当然的。完全不会催促无法判别钱币的笔者,也没有责难笔者。在前面的客人结完账之前,后面的客人绝不会从旁边插进去开始结账。
身障者には、相手の尊厳を傷つけないよう、本当に困っている部分だけを補助する。どんなに時間がかかろうとも、本人にやる意思があるならば、本人に任せる。それは、身障者なのではなく、個人差と考えられているようだ。
对于残障者,在不伤害对方尊严的情况下,只提供他真正需要的帮助。无论要花多少时间,只要本人有想做的,就应该让他自己完成。而这并不仅限于残障人士,个体差异也应该在考虑之列。
街中では、車のこないときには信号を無視して横断する人は少なくないが、人を押しのけたり、人にぶつかりながら先を急ぐような人には一回も会わなかった。国際競争力があっても『時』がゆったり流れる国は、日本にとって良いお手本だ。
大街上,没车时就无视红绿灯乱穿马路的人不在少数,但推搡、碰撞着抢先一步的情况却一次也没遇见过。既有国际竞争力,又于“时间”上较为悠闲的国家,对日本来说是不错的楷模。
家庭の幸せを教えてくれたマレーシア
让人感受到家庭幸福感的马来西亚
マレーシアのジョホールバールの日本企業では興味深い話を聞いた。ジョホールバールはマレーシアの南端にあるために開発が遅れ、シンガポールとの間に橋が開通する前は首都クアラルンプール地域との経済格差が大きかった。そこに目をつけたのが日本企業で、安い労働力を求めてジョホールバール地域に生産工場を建てた。ところが、大変だったのが時間外の労働力確保だったのだという。生産が軌道に乗ってくると注文も増え、工場は増産をしようとした。ところが、割増賃金に労働者が乗ってこなかった。
在马来西亚新山的一家日本公司,听闻了一件意味深长的事情。新山是位于马来西亚南部,一个开发迟缓,在与新加坡之间的桥梁开通之前,与首都吉隆坡地区经济差异巨大的城市。而日本公司正是看中了这一点,在新山地域招揽廉价劳动力建立了生产工厂。然而,获取工作时间以外的劳动力成了难题。生产上了轨道后,订单增加,工厂就要增产,但工人却对加班费不感冒。
もともとマレーシアは自然資源に恵まれ、ジョホールバール近辺では野生植物の果実などを採っていれば、飢えはしのげる土地柄である。どうせ割増賃金をもらっても買うものがないのだから、早く家に帰って家族とくつろぐ方がよい、とのことで時間外労働に応じなかったのだ。
马来西亚本就自然资源丰富,只要在新山附近采摘野生植物的果实,就能填饱肚子。就算拿了加班费,也没东西可买,还不如早点回家与家人团聚,因此不愿加班。
ちなみに、1957年度から総理府(現内閣府)が実施している国民生活に関する世論調査によれば、日本では「家族の団らん」に充実感を感じる人が83年度の調査で初めて大幅に減った。「生活の充実感」の項目は74年度から取り入れられたが、「家族の団らん」に「充実感を感ずる」と答えていた人は毎年43~46%の範囲で変動がほとんど無かったのだが、83年度の調査で前年から7ポイントも急落し37%になった。女性では49%から45%と若干の減少に止まったが、男性の37%から28%への減少が大きく、明らかに国民の意識に変化が見られる。
顺便提一下,从1957年开始,根据总理府(现内阁府)针对国民生活进行的一项舆论调查显示,日本人因为“家人团聚”感到内心充实的人数比例,在1983年的调查中首次出现了大幅下降。对于“生活充实感”的调查在1974年加入,而因为“家人团聚”“感到充实”的人,每年百分比浮动在43%-46%,变化不大,但在1983年的调查中却突然降到了37%,比前一年下降了7个百分点。女性从49%下降到45%,男性从37%下降到28%,据此可见国民的意识有了明显的变化。
家族が豊かになるように、残業を重ねて電化製品をそろえ、家財道具を増やしているうちに、団らんの時間がどんどん減ってしまったのだ。核家族化が進み、家族の人数が減っているのに加えて、家庭の中でも個人行動が進んでしまった。朝起きる時間はまちまち、朝食もバラバラ、出掛ける時間、帰宅時間もそれぞれで、夕食も別々。したがって4人家族でも、1日の食事は7~8回に分かれる家庭も珍しくはない。好きなテレビも趣味もバラバラなので、家族は各々自分の部屋で時間を過ごすことになり、「家族の団らん」の時間はほとんど消えてしまった。
为了令家人的生活更加富裕,不停地加班,家里的电子产品齐备,家具物品也越来越多,但与家人相处的时间却越来越少。加上家庭人数越来越少,核心家庭增多,而家中的每个人也都自顾自行动。早上各自起来,各自吃早饭,出门时间和回家时间也各不相同,晚饭也各管各吃。就算只是一个四口之家,一天进餐分7、8次进行的家庭也并不稀奇。喜欢的电视节目、兴趣爱好也都各不相同,家里的每个人都在自己的房间里度过,“家人团聚”的时光几乎已消失殆尽。
話はマレーシアに戻るが、人々の残業に対する意識が変化したのはホンダのオートバイの登場だった。オートバイが手に入れば、家族で遊びに出掛けることもできるし、遠くのショッピングセンターまで買い物に行って、いろいろなものを購入できる。物欲に目覚め、便利で値段の高いオートバイを買いたい一心で残業を引き受けるようになったという。
话题回到马来西亚,人们对于加班产生意识上的变化,是由于本田摩托车的出现。只要买了摩托车,就可以和家人一起出门游玩,到比较远的购物中心去买东西,能买到各种各样的东西。人们觉醒了,产生了物欲,一心想要买下方便却昂贵的摩托车,才渐渐变得愿意接受加班。
日本人は現地へ進出をすることによって、地元経済を豊かにした反面、現地の人々の家庭の幸せを壊しているのではないか。同じ日本人として、何だか悪いことをしているような気がした。
由于日本人的参与,使得当地经济繁荣起来,但从反面来说,是否也在一定程度上破坏了当地人的家庭幸福呢?笔者作为日本人,总觉得好像做了件坏事。
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